Bruno Giacosa (ブルーノ・ジャコーザ) 訪問

現代の匠 ブルーノ・ジャコーザのエノロゴ「ジョルジョ・ラヴァーニャ」とのテイスティング

ジョルジョ・ラヴァーニャとのテイスティング

「ブルーノジャコーザ」と言えば、言わずと知れた、アンジェロ・ガイヤと並ぶ、バルバレスコの2大巨頭である。
同時に、ジャコモ・コンテルノに並ぶ、「伝統派バローロ」の双璧でもある。

ブルーノジャコーザのカンティーナは、Neive(ネイヴェ)村の中の大きな通り沿いに面していて、周囲に畑はない。

Gaja のセクレタリから「いけばすぐに判る」と言われて、” Giacosa ” の看板を目印に車で行ったが、誤って ” Fratelli Giacosa (フラッテリ・ジャコーザ)” の門をたたいてしまった。

僕らを出迎えてくれたのは、今やピエモンテを代表するエノロゴと言っても過言ではない、Giorgio Lavagna (ジョルジョ・ラヴァーニャ)氏だった。

この日テイスティングさせてもらったのは、以下のワイン。

ブルーノ・ジャコーザのカンティーナでのテイスティング

恥ずかしながら、この日はアンジェロ・ガイアとの会食で、満腹になるまで食べてしまったため、集中してテイスティングができなかった。

雑な感想だが、この時のワインの中では、Dolcetto と Arneis が素晴らしかった。

「全てのボトルは、朝、抜栓した」と言っていたが、どちらのワインも、若い内から飲まれることが多いワイン。

特にドルチェットは、世に売られている同品種のワインの中では、「別次元」と言っていいほどの味わいだった。

抜栓してから、少し時間を置いた方が、いいワインなのかもしれない。

※同行した嫁さんのNO.1は、今でも Barbera だったと言っている。

ブルーノ・ジャコーザの歴史

ジャコーザ家は、ランゲ地区で3代に渡りワイン造りに携わってきた。

初代当主であるカルロが自社で醸造瓶詰めしたのがワイン生産者としての始まりである。
つまり、スタートは、ネゴシアンである。

2代目のブルーノの父の代は、世界恐慌・第二次大戦の時代にあたり、イタリア内外の経済が安定するまでは、ボトルワインが売買される市場は殆ど無かった。
否応なしに、瓶詰めを行わずに樽単位で量り売りをしていた。

3代目のブルーノは、1929年生まれ。
13歳から祖父カルロの指導の下で、ワイン造りを学ぶ。

1950年代になり、ピエモンテに協同組合が誕生する。
これによって、良質な葡萄だけを組合が買取る仕組みが生まれ、ランゲ地区全体の品質向上につながる。
次第に、葡萄の仲買人や醸造家達は、売買される葡萄の品質と特性を自ずと学ぶ必要に迫られた。

若き日のブルーノも仲買人として研鑽を積んだ。
どこのエリアの、誰の畑のブドウが良質か、どんな特徴があるのかを、全て把握した。
これが今日のブルーノ・ジャコーザ社の強みとなった。

1961年、自分の名前を冠したブランド「ブルーノ・ジャコーザ」のワインを初めてリリースした。

ブルーノ・ジャコーザ、2種類のラベル

1996年前後より、「ブルーノ・ジャコーザ」には、現在のように、「2つのラベル」が存在するようになった。

  • Casa Vinicola Bruno Giacosa(カーサ・ヴィニコラ・ブルーノ・ジャコーザ)
  • Az.Ag.Falletto di Bruno Giacosa(ファッレット・ディ・ブルーノ・ジャコーザ)

前者は、「長年契約している畑から購入したブドウで造るワイン」であり、
後者は、「自社で所有する畑から収穫されたブドウで造るワイン」である。

両者の醸造法・熟成は、オフィシャルでは「まったく同じ」、とされている。
(ステンレスタンクで発酵後、1100Lのスラヴォニアン・オーク(大樽)で24ヶ月間熟成。12カ月以上瓶内熟成を経てリリース)

特に前者は、祖父の時代から何十年にも渡り同じ畑、同ブドウ生産者から、最上級の品質のものだけを購入している。
「ジャコーザ」に葡萄を卸していること自体が、既にブドウ農家にとってはステータスのため、彼らは最良の葡萄しか提供しない、とまで言われた。

80年代、バルバレスコの最高のクリュである ” Asili ” と ” Rabaja ” の畑、バローロでは ” Falletto ” の畑を取得した。

その後ラ・モッラ村に、ドルチェットを栽培する畑も購入している。

そのためか、現在は2つのラベルの棲み分けが進み、

  • “Casa Vinicola Bruno Giacosa”は、比較的値ごろ感のある、大衆路線へ。
  • ”Az.Ag.Falletto di Bruno Giacosa” は、単一畑、高級自社畑路線へ。

と、なりつつある。

同社を代表するワイン、 ” Barbaresco d.o.c.g. Santo Stefano (バルバレスコ・サント・ステファノ・ディ・ネイヴェ) ” は、前者の「購入した葡萄」で造られるワインとして知られていたが、2011年ヴィンテージをもって最後となる。

憧れの赤ラベル

「ブルーノ・ジャコーザ」の名前を語る上で、忘れてはならないのが、単一畑のバルバレスコとバローロのリゼルヴァ・クラス。

エチケットの色から、通称「赤ラベル」と呼ばれるが、1964年の” Barbaresco Santo Stefano Riserva “(バローロは、” 1967 Rionda Riserva ” ) から、ラベルが赤くなった。

それ以前は、当時ベージュ色だった通常ラインのボトルに、単に「Riserva」と書かれているにすぎなかった。(黄金色だったときもある)

人気コミック「神の雫」の中で、主人公のライバルである遠峯一青が、 ” Le Rocche del Falletto Riserva 2001 “ を「第六の使徒」の候補として選んだことでも、人気に拍車をかけた。

「バローロのロマネ・コンティ」とも評される程、良年しか作られないこのワインを巡り、今も世界中で争奪戦が繰り広げられている。

(訪問:2010年5月)

 

≫ 【Bruno Giacosa】最高賞受賞ワイン・ラインナップ


コメントは受け付けていません。

このページの先頭へ