Radikon (ラディコン) 訪問 :3度目

小雨の降る朝、RADIKON(ラディコン)の家を訪問。

オスラヴィアに到着した前日は日曜日。彼の家の前を通った時、駐車場に多くの車が止まっているのが見えた。

なんだろう? と思いながら、定宿にしている Vogric(ヴォグリッチ)に着くと、併設しているトラットリアで、何組もの大家族がパーティーを行っている。どこのテーブルでも、「よそ行き」服を着させた子供達が、画用紙で作った冠を付けて、その周りを囲むように大人たちが座っている。

じっとしていられず、走り回ったり、奇声を発したりする子も少なからずいる。食事の最中、外のブランコで遊んでいたので、お母さんに怒れている子の姿も・・・。 ガキンチョが集まれば、古今東西、こんな感じなんだろう。

Vogric(ヴォグリッチ)の美人女将アンドレアと、髭がお洒落な若旦那のダニエルは、今日もテキパキ働いている。
パーティーの〆の白い巨大ケーキを運び出すのに右往左往する2人の姿は、まるで戦場にいるかのようだ。

ダニエル曰わく、「今日は、Collegiare (コレヒアーレ)なんで、死ぬほど忙しい!!」

スペイン語“Collegiara”は「女子学生」の事だから、おそらくCollegiare (コレヒアーレ)は、「入園祝い」とか、「ひな祭り」とか、「端午の節句」のようなものかな?

きっと、RADIKON(ラディコン)の家も、昨日はこんな感じだったのかもしれない。

RADIKON(ラディコン)のセラーに到着すると、息子のSASA(サーシャ)が出迎えてくれた。
明らかに二日酔いの顔。 昨晩は大いに盛り上がったことだろう。

訪問した時期(5月中頃)は、前の年に収穫したばかりのワインを、自慢のGarbellotto(ガルベロット)社製のボッティ(大樽)に移し替えたばかりのタイミングだった。

春の時期に来たのは初めてだったので、まだワインと呼べる前の状態を飲むことができたのは、ラッキーなことだ。
基本的にセラー内部のレイアウトは前年から変らないので、写真は1枚しか撮影していない。
樽に書かれたチョークの文字が、新しいワインの名前に書き換えられているだけ。
セラー内の様子に興味のある方は、過去記事を参照して頂きたい。

まずは、フレッシュなRibolla Gialla(リボッラ・ジャラ)2009と、Oslavie(オスラヴィエ)2009からスタート。 2つを比べるとOslavie(オスラヴィエ)の方が断然に甘い!

「ずいぶん甘さが違うよね。」
「そう。これはOslavie(オスラヴィエ: CH / SB / PGの混醸の白ワイン)に使うシャルドネの糖度が強いせい。 葡萄品種単体でみると、シャルドネとソーヴィニョンは、リボッラより糖度が高いんだよ。(オスラヴィエは)他の品種と合わせる事でより複雑になる。2009はどの品種も良いヴィンテージだよ。」

ちなみに、ゴリツィア周辺の人は、「リボッラ・ジャラ」を省略し、「リボッラ」と呼ぶ場合が多い。「リボッラ・ネラ」という品種もあるが、多くの場合は「スキオペッティーノ」と呼んでいる。

さて、まだ「ワイン」と呼ぶにはほど遠い Oslavie(オスラヴィエ)2009 だが、既にスケール感がある「偉大なワイン」の片鱗を感じずにはいられない。

「これで、リゼルヴァ作るべきじゃない?」
「僕も同じ考え。(笑) 今のタイミングでは(ノーマルもリゼルヴァも)同じ状態だけど、いずれにせよもっと熟成が必要だよ。 毎年、僕らはワインの状態を確認して、一斉にボトリングしてしまうか、リゼルヴァ用に残こして数年間ボトル熟成させてから出荷するか、判断している。」

この日飲んだRibolla Gialla(リボッラ・ジャラ)2009は透明感があったが、これに対して、Oslavie(オスラヴィエ)2009は白濁していた。この白濁現象は、温度が上昇してマロラクティック発酵が再スタートしたことによるもので、通常、2~3週間は継続するそうだ。 しかも、一度始まったマロラクティック発酵は、途中で温度が下がっても止まらないらしい。

Jakot(ヤーコット)2009 も、実に良く薫る。
フリウラーノの果皮から染み出たタンニンを若干感じるが、しっかり酸は乗っている。

さて、サーシャが「ちょっと、これ、試してよ」と言ってグラス注いでくれたワイン。

Pinot Grigio (ピノ・グリージョ)のロザート。 これ、サーシャ自身によるプロデュース、新アイテムらしい。

「たしか、ニコやダリオさんのところも、似たタイプの造っていたよね?」
「そうそう」

仮称「Radikon Rosato 2009(僕が勝手に付けた名前)」は、ピノ・グリージョを1週間スキン・コンタクトし、そのまま古いバリックへ入れるだけのシンプルなワイン。9月にボトリングし、半年間ボトル熟成。約1年後にリリースする予定とのこと。

「もっとボトルで熟成されたら、今より美味しくなるはず!!」と、サーシャは自信満々に語る。

もう一つ。サーシャ・プロデュースの Chardonnay 100% のワインも飲ませてくれた。
さしずめ「Radikon Chardonnay(ラディコン・シャルドネ)2009」、もしくは「SASA Chardonnay(サーシャ・シャルドネ)2009」というところだろうか。

これも前述同様のスタイルで、1週間スキン後、そのまま古バリックへ入れたもの。 今は、丁度マロラクティック発酵が終わったばかりの状態だったが、その糖度の高さに大変驚かされた。

遂にあのラディコンから、木製開放醗酵槽で果皮をマセレーション(浸漬)しないタイプの白ワインがリリースされる日かくるのか、と想いを巡らせつつ、2008ヴィンテージのワイン樽へ。

Oslavie(オスラヴィエ)2008は、酸を強く感じ、初めてラディコンのセラーに来た時に飲ませて貰った2005ヴィンテージのワインと、よく似た表情をしている。

「2008年は、シャルドネ、ピノ・グリージョ、ソーヴィニョンとも収穫量が30%も落ちたけど、栽培もいつもより丁寧にした年だから、問題なく良い葡萄に育ったよ。 Sulfur(SOs)も添加していないしね。」

Ribolla Gialla(リボッラ・ジャラ)2008は、サーシャの表現を借りれば「ワインになり始めたばかり」。

「リボッラは全く問題なし。例年通りのクオリティだった。 実際、自分たちの畑もペロノスポーラ(イタリア語で「べと病」)に襲われたけど、リボッラという品種は病気に強いんだよ。 ペロノスポーラやオイディーム(うどんこ病)のような病気には、とても強い品種。」

「2008年は、雨が多くて寒かった、2002や2005に似ているスタイルだね。 (ワインというものは)まあ、どのヴィンテージも異なるのが当然だけど。一連の熟成が終わった後は、2003、2007よりも飲みやすいワインになると思うよ。」

Jakot(ヤーコット)2008、は先ほど試飲した2009とは異なり、澄んだ外観をしていた。

「夏前はもっとタンニンを感じさせる味わいだった。それは例年通り。 夏を越えると徐々に樽熟成による効果で、 タンニンが柔らかくなっていくんだよ」

・・・確かに、先ほど飲んだ2009はタンニンを強く感じた。

「初めに飲んだJakot(ヤーコット)2009は、樽に移して2~3週間しか経っていないんだ。(今日のテイスティングでは)この熟成の差を理解して欲しかったんだよね。」
 
・・・はい、理解しました。

古いバリックの中にMerlot(メルロー)2007が入っていた。

当然、今リリースされているワインに比べれば、まだ若い。 タンニンはかっちかちに立っているが、凝縮し複雑さを感じる。 甘草、熟れたブラックチェリーの様な香りが、強烈に鼻を突き抜け、脳の芯にまで響いてくる。偉大な2000年メルローに似た、ビッグなボディがある。

驚くことに、このMerlot(メルロー)2007は、5年間古いバリック樽で熟成させ後、さらに5年間ボトル熟成させてから、リリースされる。 バックヤードにボトル熟成された1997の在庫がまだ若干あるそうなので、希望すれば後で売ってくれるそうだ。

醸造中の樽よりPignolo(ピニョーロ)を3ヴィンテージ試飲。

古樽に入ったラディコン・ピニョーロ2009

Pignolo(ピニョーロ)2009
今のタイミングで売っても、世界中のワインラヴァーが喝采を送るであろう見事な出来映え。
スキン・コンタクトが12月に終わり、今は樽でマセレーション中。
メルロー同様、数年このまま熟成をさせ、更に5年間ボトルエイジングさせる。
ピニョーロはタンニンが大変豊富な品種なのだが、そのタンニンは細かくデリケートで、何より、偉大なワインが持つ「厳格さ」を醸し出している。

サーシャ曰わく、
「ピニョーロは本当に栽培が難しい葡萄。 1997年に植樹後、これまでボトリングできたのは、2003年(1樽)、2004年(1樽) と、2007年の、3ヴィンテージのみ。 2005年、2006年は収穫できず、2007年に再度収穫できた。」

Pignolo(ピニョーロ)2008
ピニョーロ特有のプルーンのような黒系果実の香り。更に既に熟成香りが出始めている。
酸が実に綺麗。 タンニンも落ち着き、他のマッチョな年よりも、ピニョーロの個性を感じやすいヴィンテージのように思える。

比較する3ヴィンテージの中では、エレガントな仕上がりになっている2008年が、一番好みだった。

Pignolo(ピニョーロ)2007
野性味すら感じる熟成香が、たっぷりのワイン。
果実味だけでなく血のニュアンスも若干あり、2008とは全然違う表情がある。
3ヴィンテージの中では、突出してマッチョ。逞しいいボディ。タンニンも豊富。

サーシャの考えでは、更に熟成を重ね複雑さを増すのはこっち(2007)の方とのこと。

ラディコンの家にリビングルームで、昼飯を食べながらテイスティング。

セラーの入口付近で、Stanko(スタンコ)とDario Princic(ダリオ・プリンチッチ)が、何やら立ち話。 多分仕事の話だと思うけど、真剣な顔をしていた。

ダリオさんに軽く会釈をし、サーシャとテイスティング用のワインを物色しにいく途中、
ボトリング・マシンの側の机を見ると、エチケットが違う大きなボトルが置いてある。

5リットルサイズのラディコン・メルロー

「ダブル・マグナム(3000ml)?」
「5リットル・ボトルだよ。ウチじゃ普通に売っているよ。 どう?」
と言われても、飛行機にも持ち込めないし、自宅のワインセラーに収めきれそうにない。

サーシャが、スタンコに相談を仰ぎながら数本チョイスし、食堂のテーブルへ。
「しかし、月曜日の朝っぱらからワインとは、実に良い週だねぇ!」と、笑いながら軽くイヤミを言うサーシャ。

ラディコン04ヴィンテージの白ワイン3種

まずは、Oslavie(オスラヴィエ)2004、Jakot(ヤーコット)2004、Ribolla Gialla(リボッラ・ジャラ)2004を平行試飲。
・・・いや、どれも最高に美味い。

特にOslavie(オスラヴィエ)2004の力強さ、糖度の強いシャルドネが発する還元的な香りは格別である。 飲む側にも体力が求められそう。

Ribolla Gialla(リボッラ・ジャラ)2004の方は、Oslavie(オスラヴィエ)に比べて、バランスの良い仕上がりになっている。クイクイと飲み易く、優しい味わい。

Jakot(ヤーコット)2004は、前述のワイン2つの間くらいのボリューム。
フリウラーノ固有の個性的な香りがあるが、この葡萄のポテンシャルをここまで引き出しているワインは稀。

リゼルヴァ・クラスのワイン2本追加

マニア垂涎の Ribolla Gialla Riserva Ivana(リボッラ・ジャラ・リゼルバ・イバーナ)1997とOslavie(オスラヴィエ) 1999が、景気よくポンポンと空けられていく。

Ribolla Ivanaはブランデーのような色合いで、舌触りは滑らか、柔らかく、酸の広がりも優しい。 Oslavie(オスラヴィエ) 1999に至っては、まるでとろけるようだ。 もう、美味過ぎてワインが止まらない。(マズイぞ・・・、まだ1軒目なんだよね。)

ラディコン・サラミ1
いくら切っても巣だらけのサラミ

フリウリのカンティーナでは定番のサラミを、サーシャがワインのアテにと、切ってくれる。
が、せっかくのサラミに「す」が入ってしまって、切っても、切っても、美味しく食べられる箇所にあたらない!!

焦る、サーシャ。 次々と積み重ねられていく駄目サラミ・・・。
残念ながら、半分以上は駄目だった。

「サーシャ、こりゃクレーム案件だよ。 クレーム! 返品だよ!!(笑)」
「いやいや、切っちゃったサラミは、返品できないよ、どうしようもない(笑)」

裏から新しいサラミをもう1本。

まだ朝飯を食べていなかったサーシャは、パンに挟んではモシャモシャと勢いよく口に運ぶ。 若いだけあって、もの凄い食べっぷり。

ダリオ・プリンチッチと仕事の打ち合わせをようやく終えたスタンコが、テーブルに加わり、一気に盛り上がる。
日本やイタリアの景気の話や、これから予定している訪問ワイナリーにまるわる話(噂話)に花が咲く。

今回は、フリウリの赤ワインを作る地葡萄をテーマに取材していることを話すと、スタンコが、Pignolo(ピニョーロ)について、こんな話をしてくれた。

「ピニョーロって葡萄の育成は、本当に難しいんだよぉ・・・。
問題は米国苗木とお相性にあるんだよ。素晴らしい葡萄なんだけど、手間がかかるから、だれも栽培したがらない。

戦後、1軒の生産者によって再発見されたんだけど、それでも多くの造り手は、利益のためにより生産性が高く、収穫量の見込める品種に植え替えていったんだ。

ピニョーロはどんどん廃れていったんだけど、大量生産時代が終わった今、徐々にピニョーロを栽培する連中が増えてきたんだ。 栽培が難しくて少ししか収穫できないけど、とても良い葡萄だからね。」

と言いながら、ラベルの付いていないPignolo(ピニョーロ)2004を、ストックルームから持ってきてくれた。

ピニョーロ04をストックルームから持ってきたラディコン
貴重品のラディコン・ピニョーロ04

なんだこれ、無茶苦茶美味い。

メルローと比べると、酸もタンニンも、一段と、強い。

ザモやモスキオーニのPignolo(ピニョーロ)を飲んだ経験があるが、若いピニョーロの個性は、他人を拒絶するかのような、厳しいタンニンの印象しか残らないことがあった。

しかし、ラディコンの手に掛かれば、浮揚感がある荘厳な味わいになる。
野性味と内側に凝縮されたエッセンス、熟成した酸の旨味、長くエレガントな酸の余韻・・・。

正直、こんな酔っぱらう前に飲みたかった。(できれば、ピニョーロ1本で!)
この若いピニョーロがリリースされるのは、あと4年後、となるだろうか・・・。

食事の準備が整い、みんなで昼ご飯。
一緒に映っている青いエプロンの男性は、ラディコンの家で畑仕事をしている方。彼の奥さんもラディコン家の家事一般をやっていて、このお昼も彼女によるもの。
前回来た時も、スープが美味しかったなぁ。

肉を頬張るサーシャ・ラディコン
ご飯をお替り中
ヴィニェロンと打ち合わせ中のスタンコ・ラディコン
蓋をかたずけるスタンコ・ラディコン

「ところで、スタンコさん。さっきセラーで観た2009年のピニョーロはどれだけ出来るの?」
「4樽、800リットル。 1000本だな。」

・・・す、すくない。稀少過ぎる。 しかも、さっきサーシャは、2004は1樽しかないと言っていた。(250本中の1本ってこと? 3樽の間違いであってほしい(汗)。)

「ごめんね。そんな稀少なモノ、空けさせちゃって。」
「いいって、気にしないでよ(笑)」

相変わらず、気前が良すぎるぞ、スタンコ !! (帰りにOslavie(オスラヴィエ)2001 も貰っちゃった・・・)

ピニョーロ、リリースされたら絶対買おう。 リリース予定の2013年が待ち遠しい限りです。

ソーセージと鶏肉のソテー
ラディコンが好きだったホースラディッシュ

メインの鶏肉とソーセージのソテー。下はスタンコが今はまっている「生おろし 本ホースラッシュ」とでも言うべきもの。

「これを肉に付けて食べると、うまいぞー。」
とナイフで山盛りにすくって、皿にべっちゃりと盛るスタンコ・ラディコン。

食事の最中、ワインの解説やセラーでの仕事の話をするサーシャの姿を、嬉しそうに眺めるスタンコの優しい眼差しが、とても印象的だった。

自分の息子が、どんどん逞しく成長している姿が嬉しいんだろうなぁ。
ラディコンのセラーを訪問したのは3回目だけど、来る度に、スタンコは、丸くなっていく気がする。

ラディコンの家にあった爪楊枝

これはラディコンの家にあった爪楊枝。 Udine(ウーディネ)周辺のスーパーでも大量に売られている。もちろん日本製じゃない、某大陸産。
「SUMURAI」というブランドの爪楊枝も、町中のトラットリアで頻繁に目にする。

帰りに、僕もGorizia(ゴリツィア)市のC.O.O.P.で、ラディコンの家にあったのと同じホースラディッシュを買った。

関連記事

Radikon (ラディコン) 訪問 :1度目 1/2
Radikon (ラディコン) 訪問 :1度目 2/2
Radikon (ラディコン) 訪問 :2度目 1/4
Radikon (ラディコン) 訪問 :2度目 2/4
Radikon (ラディコン) 訪問 :2度目 3/4
Radikon (ラディコン) 訪問 :2度目 4/4
Radikon (ラディコン) 訪問 :3度目


コメントは受け付けていません。

このページの先頭へ