Zuani (ヅアーニ/ツアーニ)訪問

ツアーニのスタッフとパトリッツィア・フェルーガ

San Floriano del Collio(サン・フロリアーノ・デル・コッリオ)の丘の上から、下界Cormons(コルモンス)へ。

Localita Giasbana (ジャスバーナ通り)を走ると、左手に白亜の古びた教会が見えてくる。 (※下の写真は反対方面から撮影)。その教会を超えると、道はなだらかにカーブする。

そのカーブに沿うように「Torattoria LVKA」(トラットリア・「ルーカ」と発音。正確には「V」の上に点が付いている。)の看板が目に飛び込んでくる。

イタリアとスロヴェニアとの国境を意識しながら、当所なく、地元のエノテカ巡りをしている最中、偶然発見したこの店こそ、Zuani(ヅアーニ/ツアーニ)のオーナー、Patrizia Felluga (パトリッツィア・フェルーガ)さんが経営する店だった。

ジャスバーナ通りの教会
トラットリア・ルーカの看板
トラットリア・ルーカの外観

ノー・アポだけと、一応看板に「エノテカ」とあるので、そのまま入店。 トラットリアはちょうど込みの時間だったためか、パトリッツィアさん本人が、ツーリングに来ていたお客さん相手に、バーカウンターで接客している最中だった。

Patrizia Felluga(パトリツィア・フェルーガ)さんは、地元のワイン貴族と呼んでも過言でもない、「名門」フェルーガ家の一人。 かの Marco Felluga(マルコ・フェルーガ)氏の娘である。

2010年現在、パトリツィアさんの造るワインは、2つのみ。
自社葡萄畑(樹齢15年~20年程度)から収穫されるフリウラーノ(トカイ・フリウラーノ)/シャルドネ/ソーヴィニヨン/ピノ・グリージョを、温度管理されたステンレスタンクで醸造した Zuani Vigne(ヅアーニ/ツアーニ・ヴィーニェ)と、同じセパージュで9ヶ月フレンチ・バリックの新樽で熟成させた Zuani Zuani (ヅアーニ・ヅアーニ /ツアーニ・ツアーニ)

仮にリゼルヴァを造った日には、もうひとつ「Zuani」の文字足され、凡庸なワインの代名詞である「エスト! エスト!! エスト!!!」みたいになるのでないかと、いらぬ妄想が膨らむ。

どちらのワインも、混醸ワインゆえのバランスの良さがある。なにより、 d.o.c. Collio Bianco は、造り手のセンスやフィロソフィーがハッキリと感じ取りやすい。つまりは「その家の味」というやつだ。

ツアーニ・ヴィーニェの試飲
ツアーニ・ツアーニの試飲

「Zuani Vigne 、2008と2009、どっちが飲みたい?」
「それじゃ、2009を!」

Zuani Vigne 2009 は、先週ボトリングしたばかり。
天候に恵まれた良年2009年ヴィンテージを、到着初日から名門フェルーガ家のワインでテストできるとは、正しくツイている。

やや緑っぽさを帯びた、淡く、透明感ある色合いがキラキラと輝く。
口に含むと、まだピリピリ感があるのは、ワイン自身がまだ若い証拠だ。
還元的な香りが少々あるが、檸檬のような果実系の香り。
酸味と果実味のバランスが見事、さらに蜂蜜のニュアンス。
フルーティーで、フレッシュ感がり、恐縮感も強い。
全体的な印象は、ベーシックな白ワイン。ただしボディーはビッグ。
日常酒向きだが、長期熟成も可能、見つけたら黙って箱買しておくワインだ。

だた、今飲むなら、Zuani Vigne 2008 が文句なくオススメだ。
2008年ヴィンテージは、フリウリでは、雨が多く、スモール・ヴィンテージと言われる。
パトリツィアさんが惜しげもなくグラスに注いでくれたZuani Vigne 2008 は、その不利を跳ね除けるような、見事な出来栄えだった。

「せっかくだから、こっちも試してよ!」
一回り大きいグラスに注いでくれたのは、 Zuani Zuani 2007。(味わいの特徴から、推奨すべくグラスは違うようだ) 濃く黄色い、少し冷えた(触感的には温度は14℃くらい)ワインを軽くスワリングすると、バリック由来の甘いモカのようなロースト香や、アカシア、グレープフルーツのコンポートの香など、止めどなく溢れだす。

甘さすら感じる凝縮した果実味とリッチでボリューム感がある白ワイン。流行りの「ビオ」を売り物にしている、駄目な自然派ワインにみられる澱臭さはない。実際、彼女自身、自ら週次でピジャージュ(櫂入れ)しているそうだ。
旨いワインを飲むと、素直に顔に出てしまう。
誰だって彼女のワインを飲めば、「ワォ!」と声を上げ、思わずニヤリとするだろう。

恥ずかしながら、運転中サングラスを頭に引っかけていたため、すっかりヘンテコな髪型になっていた。
意外にも、そんな変な髪形の東洋人のことを、パトリツィアさんは気に入ってくれた様子で、フェルーガ一族の歴史を綴った立派な写真集をプレゼントしてくれた。(後ほど下記に内容の一部を紹介する。)

ツアーニのセラー

「セラーは向こうの丘の上にあるのよ。赤い屋根のやつ。
 畑はこのトラットリアの下の斜面から、向こうのセラーにかけて広がっているでしょ。
 うちのセラーは、教会の向かいにある小道を真っ直ぐ。 200m進むとぶち当たるわよ。
 良かったら、明日、ウチのセラーに寄りなさいよ。 中、見せてあげるわよ。
 明日無理なら、明後日でも良いわよ。」

「いやいや、本当に嬉しい申し出なのですが、今回、取材予定がビッシリなんですよ。
今、サン・フロリアーノに泊っているので、1時間でも時間が調整出来れば、電話しますね。」

半ばギャラリーとなっているダイニング・ルームで記念撮影後、パトリツィアさんやトラットリアのスタッフ達に別れを告げ、店を退散。
ただ撮影をお願いしたスタッフの方が、へんな東洋人に恐れおののいたせいか、手がプルプルが止まらず、妙な顔つきの記念写真が沢山出来きた。(汗)

駐車場へと向かう途中、さっきの教会から18時を告げる鐘が響く。
少し湿り気を帯びた心地よい風
甘い草木の香り、
鳥のさえずり、
たまに通る自動車の走行音

ここ・・・いいところだなぁ。

あ! SUBIDA(スビダ)でディナーを予約した時間だ。
しかし、星付きレストランであるスビダでの一人飯は、「ひとり焼肉」よりも、なにか寂しい気がするなぁ。

パトリツィア・フェルーガと記念撮影

フェルーガ家の歴史

パトリシアさんがプレゼントしてくれた本 「a land, the collio | a man, marco felliga by walter fikiputti」に記載されていた、家族の歴史を要約するとこんな感じだ。

1世紀に及ぶ歴史のあるフェルーガ家。
同家は、オーストリア=ハンガリー帝国時代から(イタリア帝国になる以前から)、ワイン醸造を手がけてきた名家である。

日本でも有名な Livio Felluga(リヴィオ・フェルーガ)氏とMarco Felluga(マルコ・フェルーガ)氏は、約13歳年が離れている実の兄弟(7人兄弟)。

現オーナー、マルコ氏の祖父にあたるマルコ・フェルーガ氏の時代、一族は、イストリア(現、スロヴェニア領。 嘗てのオーストリア=ハンガリー帝国時代の1コミューン名。)の地でトラットリアを経営しながら、Malvasia種やRefosco種などのワインを造り、それらをフリウリ地方への販売していた。

第一次大戦終了を機に、家業を継承した父Giovanni(ジョヴァンニ・フェルーガ)とElisa(エリーザ)は子供たちを連れ、物流の効率性と販路拡大のために事業の基盤を、Grado(グラード)へと移した。 ※アキレイアの南、アドリア海北縁の潟湖に浮かぶ島。

そして1938年、更に魅力的なマーケットを求め、フェルーガ家は Gradisca d’Isonzo(グラディスカ・ディソンツォ)へ再び移住する。

1956年、国際競争力のある高品質のワイン造りを渇望していたリヴィオは、コルモンスに28ヘクタールの畑を購入し、自分自身のセラーを立ち上げた。(現在170ヘクタール以上)
一方、現在、オーストリア=ハンガリー帝国時代から続くフェルーガ家のワイン家業は、マルコ氏へと委ねられた。

父ジョヴァンニは、若いマルコに、フェルーガ家に伝わる醸造に関するノウハウとワインビジネスのエッセンスを惜しまず注入した。

1963年、マルコは家業の責任者となる。
地元の有能な葡萄農家から高品質な葡萄を購入してワインを造り、醸造設備も近代的ものへと、改革を進めていった。

そんな最中、折からの白ワイン・ブームと、何より特徴的なミネラルを持つフリウリのワインが、海外から注目を浴びるようになり、需要も一気に増加する。

Consorzio Collio 協会(後のD.O.C. COLLIO)が発足て3年後の1964年、同組合したことをきっかけに、マルコは一気に勝負に出でる。
ほぼ時を同じくして、 Capriva del Friuli (カプリーヴァ・デル・フリウリ)の北側にある、正にCOLLIOの中心とも呼べるエリアに、大規模な土地を購入し、カンティーナ、「Russiz Superiore(ルシッツ・スペリオーレ)」を設立した。
(※ Russizの丘の北部。有名なカンティーナでる Villa Russiz はこの丘の麓にある)

1968年には、協会がD.O.C.に昇格。
その頃のマルコ・フェルーガは、「Azienda Marco Felluga S.R.L」と「Azienda Russiz Superiore」の、2つのセラーの経営を軌道に乗せた、文字通り、D.O.C.COLLIOを代表する生産者となっていた。

1999年、ついに D.O.C.COLLIO 協会の代表に就任。
それまで35年間、販路拡大や地域振興に尽力してきた Lord Attems (ロルド・アッテムス)氏 の跡を継ぎ、日々のセラーの仕事と平行して D.O.C.COLLIO 発展の為に、全力で取り組むことなった。(現在2つのカンティーナは、彼の息子 Roberto (ロベルト)氏が継承。)

偉大な父マルコに負けずと、パトリシアさんもフェルーガ家から飛び出し、自分のカンティーナ「Zuani(ヅアーニ/ツアーニ)」をジャスバーナの地に築き、彼女が理想とするハイエンドなワインを造りだそうと、日夜奮闘中である。


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