ミアーニ 訪問 1/2

※livedoor Blogへのスパムが激しく、一部リライトした上で、こちらに記事を移動させました。

ミアーニ_友人エンツォ・ポントーニとの写真

ワイン専門誌「ワイナート13号」の記事はあまりにセンセーショナルだった。

Miani(ミアーニ)を語るとき、この雑誌に書かれた一説が、今も呪縛のごとく付きまとう。

「ミアーニのない人生なんて」

それでもあえて言う。ミアーニは飲まねばならない。簡単に買えないからと言って放棄するほどミアーニは半端な存在ではなく、またそれで諦める程度の情熱なら情けないではないか。ミアーニのないワイン人生など、もはや考えられるはずもないのだ。

「ワイナート13号」より

日本中のワインファンが、この檄文にやられてしまった。

僕も踊らされた一人だ。

ミアーニのワインを求める熱狂は今も続いている。

ただ、僕が知るかぎり、地元の Udine や Cormons や Gorizia のバールでは、そんな話は一度も聞いたことがない。

日本でも、これまでミアーニのメルローや白ワインを何本か飲んでいるが、生産本数が少ないという以外は、これほどまでに熱狂する理由が見つけられていない。

判らないから、” Enzo Pontoni(エンツォ・ポントーニ) ” という人物に、実際に会って話を聞きたくなった。

エンツォへの手紙

つたない英語で彼にメールを書いた。
翌週、メールではなく、招待状の入ったエアメールが届いた。

これまで、多くの生産者とアポイントをとってきたが、イタリア本国から郵便を送ってきたのは、エンツォが初めてだった。

地図には丁寧に、ピンクの蛍光ペンで道順まで書いてある。

「イタリアワイン界のスーパースター」だとか
「キング・オブ・フリウリ」だとか、言われる男の、
このマメさは、一体何なのだ??

その後、イタリアに向かう直前まで、彼とのメールと手紙が続く。

エンツォのワイン哲学は?
今のミアーニを成功を決定づけた要因は?
他の生産者にない、あなたの決定的な強みは何?

僕の質問に対する彼の答えは、こうだった。

「貴方の質問に上手く答えられるかどうか判りませんが、本音をお話しますと、私がすることには特別な『哲学』など無いのです。
ただ、もし1つあるとすれば、『ワイン造りに自分の全てを注ぎ込んでいる情熱』そのものです。」

「私は自分の事を哲学者のように思ったことはなく、単なる一生産者でありたいと考えてる、極めて “ a simple and humble man(シンプルで質素な男)” な人間なのです。」

” humble ” は謙った表現で、自らを「卑しさ」「質素」「貧しさ」を意味する表現である。

世界中で1万~数万円の高値で売買されるワインを生み出す男が、自らを ” humble ” などという言葉で形容するのはなぜなのか?。

一気にエンツォ・ポントーニという人物に興味が沸いてきた。

訪問

暑い夏の夕刻、Buttrio(ブットゥリオ)にあるエンツォのセラーを訪ねた。

まわりをトウモロコシ畑と古民家に囲まれた、とても質素な佇まい。

敷地内は自宅とガレージがあるだけ。

エンツォのお母様が、中庭のベンチに腰掛けレース編みをしている。

辺りに芝は生えておらず、ときおり砂埃が舞い上がる。

中庭の奥に、葡萄畑のような小高い丘が見える。

ガレージの前に、巨大な耕作機が停まっている。

男二人が、その耕作機を覗き込むように話し合っていた。

どうやら、耕作機の歯を支える軸が折れてしまい、交換部品が直ぐに手に入らない状況のようだ。

「どうにかならないものか」と、眉間に皺を寄せて業者と交渉を重ねていた男こそ、エンツォ・ポントーニ、その人だった。

僕らの到着ギリギリの時間まで、明日からの農作業をどう進めるか計画を、真剣な表情の薄汚れた男は頭を悩ませていたようだ。

・・・なんか、大変な時に来てしまったな。

タイミングの悪さを感じずにはいられない。

バツの悪そうな僕らを見るやいなや、一端トラブルの対応を切り上げ、心から訪問を歓迎してくれた。

エンツォ・ポントーニ、登場

近づいてくる、エンツォを見て、驚く。

デカい!

レスラーのように図体がデカく、厳つい風体。

ネットショップで見かける彼の写真は、若き日のポール・ニューマンを思わせように、憂いを帯びてセクシーなのだが、イメージとかなりかけ離れている。

190cmは、ゆうにあろうかと言うほどの巨体。

ぶ厚い胸板、ごつい指と腕、日に焼けた顔、青い瞳と無精髭…。

50才になったエンツォは、頭が少し禿げ上がり、年相応にお腹も出ている。

若き日の写真を彷彿させる色男ぶりは健在。

人間的な丸みを帯び、落ち着いた渋い二枚目である。

言葉数が少ない彼は、低い声でポソポソと話す。

暖かみがあり、物腰が柔らかくとても繊細な雰囲気。

E.「まず何が観たい?」
T.「是非、貴方の畑を見せてほしいです」
E.「カモン!カモン!」

” Filip(フィリプ) ” ・” Calvari(カルヴァリ)” 畑へ。

彼の車に乗って最初に訪れたのは、 ” Rosazzo(ロサッツォ) ” にある ” Filip(フィリプ) ” 畑。

日本では何故か皆「フィリップ」と記載している場合が多いが、エンツォ本人は「フィリプ」と発音する。

ミアーニ・拡張中のフィリプ畑1
ミアーニ・拡張中のフィリプ畑2

手招きしながら、たまにお尻をかきながら畑を登っていくエンツォ。

後ろ姿は、どこか格好良く見える。

畑にはトカイは1m、メルローは90cmの間隔で植樹している。

ミアーニ・拡張中のフィリプ畑の地質

地べたを観ると、この土地固有の地質であるPonka層(正確には上部の「MARNE(マルネ)」層)の岩肌が、むき出しになってる。

この固い岩の様な地層を、先程ガレージの前で見た、ボロボロの耕作機で耕していたというのだろうか。

それは、あまりに危険な作業なはずだ。

即座に、ピエモンテ州の故マッテオ・コレッジャ氏の事を思い出した。
(耕作機の中に入り込んだ小石が砕け、破片が頭部に当たり命を絶たれてしまった)

あんな悲劇が二度と起きないよう、せめてゴーグルとヘルメットはして欲しいが、イタリアの真夏の日差しを考えれば、そんな装備するとかえって作業効率が落ちるだろう。

” Filip ” の平均的な樹齢は、約20年程度と彼は言う。

僕が見せてもらった ” Filip ” 畑の葡萄の木はどれも若く、高さも1mも満たない。葉も小さい。

恐らく、彼は、少しづつ畑を広げているのだろう。

ミアーニ・拡張中のフィリプ畑でエンツォと記念写真

ミアーニは、徹底した収穫量制限を行っている。

15haのミアーニの畑から生まれるワインは、僅かに約8000本。

1本の樹から2房~4房しか収穫せず、さらに満足できない100hl分は桶売にまわされる。

さらに、ワインとなってからも約2割は選別で外される。

今年(2008年)は6月の雨の影響で、「メルローに至っては1本の木に2房まで落とす」といわれる収量制限をするまでもない程に、結実が少なかったようだ。

E.「08は自然のグリーン・ハーベストになるかもね・・・。」

エンツォは、冗談交じりで語る。

ミアーニ_フィリプ畑のトカイ・フリウラーノの木と葡萄の実
ミアーニ_フィリプ畑のメルローの木と葡萄の実
ミアーニ_嫁さんとエンツォの記念写真

レフォスコが植えられている、” Calvari(カルヴァリ)”畑 も拝見。

前日に訪問した、アキレイアのデニス・モンタナールの事を告げると、エンツォ自身、その名前を良~く知っている様子だった。
「その名前を出されては…。」とでも言いたそうに、バツの悪そうな笑みを浮かべた。

(次につづく)

 

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