La Castellada (ラ・カステッラーダ)訪問 :1度目

いざ、「ゴリツィアの哲学者」ニコロ・ベンサ氏のセラーへ。

ラ・カステッラーダのニコロ・ベンサ

オスラヴィアの丘の上からチェントロへと向かう1本道(SP17)を下り、ラ・カステッラーダに行に向かう。夕方16時頃、夏のこの時期、まだまだ日が高い。

南米に1年以上滞在した経験のある僕は、無意識に「ll」の発音を、どうしてもスペイン語読みしてしまうので、「カステッリャーダ」と呼んでしまう。 地元の人には、一応これでもちゃんと通じているので、敢えて直そうとはしていない。

ラ・カステッラーダ醸造所の外観

ラ・カステッラーダのセラーは、代々続く古びた家屋を利用した醸造所。(2階が自宅で1階が醸造設備)華美な要素は一切なく、ワインで上がった利益のほとんどを畑や醸造設備に費やしているかのようだ。
ラディコンの家もそうだったけど、ベンサ家(ラ・カステッラーダ)もまた、ワインに全てを捧げているかのようだ。

長男ステーファノ氏が出迎えてくれる。
まだあどけなさが残る長身の20代の若者。
2階のテラスの一角では、十数匹の子猫たちが蜷局をまいて、見知らぬ東洋人の一挙手一投足を覗いている。

英語のできるステーファノは目をキラキラさせ、ノリノリで主体的にガイドを引き受けてくれた。

後から遅れて、「御大」ニコロ・ベンサ氏が登場。(通称:ニコ)

見るからに、思慮深く人当たりの良さそうな初老の紳士、という風貌。
息子ステーファノ同様、彼もまた190cmはあろうかという大男。
そういえば、以前、グラヴネルを訪問したとき、ガイドしてくれた息子のミカも長身だった。
このスロベニア圏の男性は、遺伝的に、皆長身なのだろう。

ステーファノがテイスティングをリードしてくれる。
その様子を、微笑みながら遠目で見守る、ニコ。
息子の成長を見守りつつも、大事なところにくると、チョイチョイ口を挟んでしまう。

ラ・カステッラーダ醸造所の内部

ワインが眠る樽の一角でテイスティング。
トカイやリボッラなど一通り飲ませてもらう。
中でも「おや?これは面白いなぁ」と思ったのは、安旨イタリアワインの代表選手であり、DOC Collio Biaco の補助品種的な使われ方をする、ピノ・グリージョ100%のワインである。

これが、ロゼ・ド・カロン(仏:Ch.カロンで作られるロゼ・ワイン)のような、なんと見事な濃い「ロゼ色」なのだ。
セニエではなく、グリ系品種をマセレーションすることによって抽出されているため非常にエキスの密度を感じ、複雑な味わいなのである。

’05、’06のビノ・グリージョを樽から直接注いでテイスティングしたが、両ヴィンテージとも小梅のような香りとCOLLIOのワイン特有のミネラル感、フレッシュさも残る。

これは間違いなく和食に合う。
生臭くない白身の魚やサーモン、梅やゆずなどの香りモノをあしらった地鶏や豚料理まで幅広く対応できるはずだ。

ラ・カステッラーダのメルロー2006

今回のフライトで、圧巻だったのは、メルロー’06のクオリティだ。
これは凄い。いや「凄まじい」という言い方が正しい。
圧倒的なスケール感。全てが桁外れである。
まだバリックに眠るこの時点で、トレ・ヴィッキエリを進呈したい位だ。

正直、片田舎の小さな生産者が、しかもヴィン・ナトゥラルのワインで、ここまでできるとは、想像すらしてなかった。

僕が、これまでに飲んだヴィンテージ中では、1、2を争う品質のメルローだと思う。
近年、トレ・ヴィッキエリを獲得したCollio Rosso della Castellada (コッリオ・ロッソ・デッラ・カステッラーダ) ’99は間違いなく凌駕している。(’99だってとんでもないワインなのに……)

この衝撃をストレートにニコにぶつけるが、彼はただ、眉を動かし照れるようにニコリと会釈するだけである。(また、これがカッコイイ)

ニコがマセレーションを行っている光景葡萄を丁寧に撹拌
ラディコンがそうしてくれたように、ニコもまた自らマセレーション用の樽によじ登り、ピジャージュ(攪拌作業)を見せてくれた。

静かに微笑みながら、「ほれ!もっとみろよ!」と言わんばかり泡を立てながら発酵途中のソーヴィニオンを見るように薦められる。(もちろん、これは嬉しいご厚意で御座います!)
いやいや、この人もサービス精神満点の人である。

遙々日本から憧れの巨匠のセラーに来たにも関わらず、蒼々たるアイテムを飲見比べていると、訪問前に準備していた醸造プロセスやワイン哲学に関する質問が、全く沸いてこない。恥ずかしながら、ニコとは殆ど世間話に終始してしまったのだ。

「言葉で旨さを飾るのは空しいし、判る人に判ればそれでいい」
「今飲んでいるグラスの中に、答えがあるのさ」

そんな無言のメッセージが彼の呼吸や仕草・言葉の間合いから伝わってくる。

一方で、ひとつの気づきを得る。

センセーショナルだったメルロー’06は別格として、ラ・カステッラーダの何れのワインも、ラディコンの強烈なインパクトに比べると、「さりげなく、普通に美味しさ」を感じる。
個人的な直感的な解釈で恐縮なのだが、彼のワインは、まるで「自然と飲み手の体に溶けていく」かのようである。

すーっと、口から胃へと入っていく。
すると、不思議な「何か」がグラスの中に漂い始める。

同じ生産者のワインをいくつも飲み比べないと見えてこない些細な違いが、確かにある。

すこし訝しげにニヤニヤする僕の顔色を眺めるニコ。
少し離れたところから声を掛けてくれる姿は、まるで木陰に佇む、(大樽の陰か!)詩人か哲学者の様だった。

少し話は変わるが、97年エクアドルから帰国した僕は、何故か隣国ブラジルのボサ・ノヴァが好きになってしまい、暫くの間「エレンコ・レーベル」の復刻版CDを狂ったように収集していたことがある。

ニコの哲学者のような風貌に、ボサ・ノヴァの生みの親の一人である「ヴィニシウス・ヂ・モライス」の面影をみた感覚を覚えた。
外交官であり、詩人であり、作詞家であり、嘗てブラジルでは下層民の音楽とされていたボサ・ノヴァを、世界的な音楽芸術にまで昇華させた偉大な人物が、ヴィニシウスだ。

ニコの手にかかると、フリウリの庶民の酒が、世界を凌駕する偉大なグラン・ヴァンへと生まれ変わってしまう。

一方、ニコがヴィニシウスなら、ヨスコ・グラブナーは、「A.C.ジョビン」と姿がだぶってくる。
代表曲「イパネマの娘」を含む『 Getz / Gilberto 』を発表後、活動の拠点をNYに移し、国際的評価を勝ち得た偉大な作曲家、ジョビン。ガーシュイン、ジョン・レノンに並ぶ20世紀を代表する大作曲家といっても過言ではないだろう。
改革者ヨスコ・グラブナーは、福岡正信氏を崇拝し自然を尊重した栽培や、Collioで初めてのバリックの導入、テラコッタでできたアンフォラの導入、などなど、自らが信じる道を突き進み、今では、「白ワインの歴史を変えた」と世界中から讃えられる、文字通りの「カリスマ」である。(マーケティング的も、実に巧み)

そして、ラディコン。
もう一人のボサ・ノヴァ界の重要人物、『ボサ・ノヴァの神』こと「ジョアン・ジルベルト」というところかな。(これは、褒めすぎか?!)

ジョアン・ジルベルトはジョビンと伴にNYに渡り『 Getz / Gilberto 』で「イパネマの娘」を録音した。
しかし彼の歌ったポルトガル語部分は、彼に知らされぬままカットされ、仮録音用に英語部分を歌っていた新婚間もない妻であるアストラッド・ジルベルトの部分だけがリリースされた。皮肉な事にこれが国際的なメガヒットとなる。

この件が発端となり、程なく離婚。
アストラッドと別れたジョアンは「ポルトガル語で歌われるボサ・ノヴァこそが本物である」という信念のもとブラジルに、ひとり帰国してしまう。

リオ・デジャネイロに活動の拠点を移し、以後自身の開発したサンバのリズムをガットギターだけで表現する独特のスタイルを確立させ、ブラジル音楽界に不動の地位を築く。
詩を物語るように静かにポルトガル語で囁く演奏に、世界は魅了されたのである。

この「ぶれない信念」こそ、究極のゴリツィアワインを追い求めるスタンコ・ラディコンの情熱と、相通じるモノを感じる。

尚、ラディコン夫婦は至極円満なので、このあたりは誤解無き様。

さて、話がかなり脱線したので、ラ・カステッラーダに戻そう。

兎に角、知的で静かな男、ニコ・ベンサ。
一通りセラーを見せてもらった後、

「夕食を食べに行こう!」と誘われる。
地元の伝統料理を食べさせてやる、とのこと。この誘いに乗らない手はない。

宿泊先まで一緒に行き、そこからニコの車でレストランまで移動する事になった。
すかさずステーファノが手土産にと、’03のトカイとリボッラ・ジャラを箱詰めする。

もうここまで来たら、断る訳にもいかないだろう。
旅の途中のレストランで飲むのも楽しみだし、日本に持ち帰るのもいいだろう。
日中暑い社内の中どのように保管するかは、悩ましいけど、とりあえず翌日考えることにした。

ニコ・ベンサの家の猫
2階の生活スペース(いわゆる家の部分)に移動。

テラスの猫達10数匹を尻目に玄関を抜けると、すぐにリビングが広がる。

棚にあるZidarich(ジダリッヒ)という作り手のヴィトフスカ種のボトルが気になる。
裏エチケットを見せてもらうと、品種から連想したとおりEdi Kante(エディ・カンテ)と同じDOC Carsoとなっていた。
どうやらトリエステに近い地区の作り手らしい。
奥様曰く、「良い作り手よ!」とのこと。
その様子をニコが否定しない所を見ると、かなり実力派なのだろう。

フィアンセを迎えに行っていたステーファノを待つ間、翌日Dario Princic(ダリオ・プリンチッチ)のセラーへ行けるよう、アポまで取ってくれた。

物静かに微笑む父。
なんでもテキパキこなすやり手の奥様。
元気はハツラツ、青春真っ盛りの長男。
ちょっと反抗期の入った、カウチに沈みながらテレビを見続け生返事を返す次男。

まるで、アメリカのホームドラマを切り取ったかのような暖かいベンサ家の日常の風景。
スロベニアの国境の片田舎に来ていることを一瞬忘れてしまいそうだ。
ニコの家の窓に広がる風景は、エクアドル時代に次ぐ、僕の「第三の心のふるさと」として、深く記憶に刻まれた。
ニコの家の窓からの風景

La Castellada | ラ・カステッラーダ

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